桜色の人鳥

適当理論と小説置き場。たまに日記。小説を読むときはカテゴリ「目次」から。

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古い映画館・上


 例えば今日の天気が雨だとする。空は雲と雫が支配し、太陽を覆い隠してしまう。例えば今日の夜は雲が多くて月が見えないとする。空を見上げても我々からは月は見えない。
 今日は雨だね。今夜は月が見えないね。目に見える感想でしかない。
 しかし、どれも見えないだけであって、雲の向こうでは雨が降ろうと太陽は輝き、反射して月も綺麗に輝いている。
つまり目に見える事柄だけが全てではない。
「そこまでは分かる?」
 私の友人である高杉が、眼鏡をわざとらしく持ち上げながら問いかけてくる。その眼鏡は私の御洒落伊達眼鏡なのだが、返してくれないだろうか。七三分けの髪型とあいまって、妙に似合っているのが腹立たしい。
 黒いシャツがお腹の肉でパンパンに張りつめ、汗で滲んでいる為、綺麗な光沢が出来ていて、健康的な茄子に見える。眼鏡をかけた茄子が二本足で立っているようだ。
 頭を働かせる事を嫌い、面倒を嫌い、歩く事を嫌う高杉が、今私の目の前で頭を働かせ、面倒な話をし、生まれ持った二本足で立ってまで問いかけてきている。
 それは何故か。仏の顔も三度までという言葉がある。私は自分を仏だと思わないが、高杉が三度目のあやまちを犯した。つまり言い訳をしている。
「そこまでは分かる」
 私が答えると、高杉は満足そうにうなずきながら話を……言い訳を続ける。
「俺もそうなのさ、お前の見えない所では俺も忙しいのだ」
 高杉が目線を送り、私の反応を確認している。
「続けて」
 冷たく言い放つと高杉はすぐに視線をはずし、何処を見ていいのか、部屋の隅から隅を視線でつなぐように、せわしなく目を動かす。
「君からは私が汚れたスモッグのように見えている事だろう。しかしその裏側では月のように暗闇を照らし夜道を歩くものを助け、太陽のように輝き人々を元気づけている。その多忙さ故に、お前から借りたお金を返し忘れたり、着信に気付かなかったり、約束を土壇場キャンセルせざるをえなかったんだ」
「つまり何をそんなに忙しくしていたのだ?」
「……人助け?」
 高杉が人を助ける所など見た事もないし、想像も出来ないのだが、こいつの言うとおり表面しか見ていないという事なのだろうか?
「そうか、それは良い事をしたな。これまでのあやまちは許そう。では、金を返してくれ」
 実際私はそこまで怒ってはいなかった。金を返せぬのもこいつの財布事情を良く知っている私にとって仕方ないと思っていたし、着信に気付かないのも、こいつが携帯を携帯しない事をしっているから今更だ。
 社会人になって二年、中学からこいつは人としてあまり成長していない。土壇場キャンセルに至っては、これが初ではなく既に数回されている。それをこうして定期的に謝りにくるあたり、まだ愛嬌があるではないか。高杉の必死の言い訳を聞くのも楽しい。
 金を返せと言われた高杉は、思った通り汗を額に浮かべながら財布を取り出した。中を開くと、千円札が二枚と一円玉硬貨が三枚だけ入っている。私が貸した金額は二千円だ。
「返してもらっていいか」
 目線だけを高杉の方へ向けながら問う。
「来月までまって!」
 分かっていたとも。ここで二千円を返してもらって三円だけ残し、今月の半分をそれで過ごせという程私は鬼ではない。それよりこいつは、いつも金欠の癖に、何故痩せないのだろうか。
「いいだろう。しかし明日は私に付き合ってもらう」
 嬉しそうな顔をする高杉に、まるで保護者のような気持ちを抱きながら明日を待つことにした。


 天気は曇り空、昼ごろの街中。待ち合わせ場所である近くの映画館前に念のため十分前から待機。いまだに高杉の姿は見えず。だがこれは想定内。高杉が待ち合わせ場所に早く来るはずもない。今頃頭の中の馬と鹿に餌でも与えている事だろう。
 そう思って待ってはみたが、既に約束の時間を二十分過ぎた。だがこれも想定内。実際に用事のある時間から三十分前に待ち合わせを設定しておいたのだ。つまり後十分はある。
 それから五分して、高杉は現れた。今日もまた黒いシャツを着ていて、相変わらずの茄子だ。実際には間に合ったのだが、高杉はそれを知らない。少し悪戯心で冷たくしてみる。
「二十五分の遅刻だ」
 昨日の今日で、ばつが悪いのか、高杉はしどろもどろに適当な理由をつける。
「人助けしてた……」
「お前はいつも人助けで忙しそうだな」
 労うそぶりを見せると高杉は「分かってくれる?」と、頭を上げ申し訳なさそうな顔をしている。実際の所、人助けをしていたのかは怪しい。
「ではそんな忙しそうなお前の為に、飯を食わせてやろう」
「無料(タダ)?」
「無料だとも」
 小さくガッツポーズを決める高杉を尻目に、私は歩く。馬鹿は餌を与えればすぐについてくる。ついてこない馬鹿は阿呆だ。つまり阿呆より馬鹿は扱いやすい。
 楽しそうにしている高杉を連れ、映画館前から数十分、汚い路地を抜け、さらに臭い路地を抜け、陰湿な路地裏を少し進むと、見るからに古く、質素ではあるが大きな洋風の建物にたどり着く。建物の上部には看板があり、そこには『シネマ・ペンギン』と書かれていた。
 ひび割れてボロボロのコンクリートの壁に、どこかの不良共が描いた無駄にアーティスティックな落書き。いくつかある窓は向こうが見えない程に汚れていて、外から覗くことは出来ない。入口と思わしき両開きの扉の横にはいくつか映画のポスターが飾られているが、聞いた事もないようなタイトルと、昭和の臭いが漂う俳優たちが現代人である私の興味を全くひかない。
 扉に手をかけ、開けようとすると高杉が私の腕をつかみ制止してきた。
「高杉、言いたいことは予想できる」
 高杉が口を開く前に、私が開く。
「ここは映画館だが、飯は食える」
 あまり詳しく聞かれると面倒だ。高杉に口を開かせる事無く、さっさと中に入った。高杉も後ろを黙ってついてくる。
 扉を開いた時にカラカラと乾いた音がした。何の音かと振り返ると、錆びた鐘が入口のドアに装飾されている。錆びてしまって赤黒くなっているが、昔は綺麗な黄金色で気持ちの良い音をたてていたのだろう。
 中は狭くもなく広くもなく、映画が始まるまでの待合室としてちょうど良い大きさのロビーになっていた。
 規則正しく置かれた長椅子の中に一つだけ斜めに置かれた長椅子がまじっている。何故かその長椅子の下に赤い子供用の靴が二足そろって置かれており、気味が悪い。
 窓から景色を眺めようにも、やはり中からも外は見えない。見えたとして汚い路地があるだけなのだが。
入口からまっすぐに大きな両開きの扉が三つ、それぞれ「シアター1」、「シアター2」、「シアター3」と上に電光掲示板が頼りなく点滅している。恐らく劇場に繋がっているのだろう。
 右側にはチケットとパンフレットを売っている受付があり、そこには荒れ果てた大地のような肌をした、枯れ木のように細い爺(じじい)がそこだけ地震が来ているのかと、錯覚してしまうように震えながら座っていた。
 声をかけても聞こえるのだろうか、声を発しただけで枝のような骨が折れてしまうのではないか、そんな雰囲気がある。そう思ってしまう。しかし話しかけねば我々の昼飯は始まらない。
「いらっしゃい」
 驚いた。爺の方から話しかけてきてくれたのだ。驚いたのはそれだけではない。人間とはここまで枯れた声を出せる生物なのか。岩と岩が擦れ合うような、乾いた木々の間を水気のない風が這いずるような、煙草の煙のように徐々に体をむしばんでいくような、そんな声だった。つまり人に伝える時に例えに困ってしまうような声だ。
 老人というものは本当に人間なのかと、疑ってしまうような時もある。そんな中でも私が知る限り、一番人間離れした雰囲気を持っている。
「何にするかね?」
 爺が開いているのか閉じているのか分からない目で見つめながら問いかけてくるが、映画に用はない。私はネットで見たとおりの注文をした。
「ペンギン二人で」
「御一人様二千円で、合計四千円になりやす」
 この値段で映画なら絶対見ないだろうが、ペンギンというのは映画のタイトルでもこの映画館の事を示しているのではない。飯の注文だ。その内容はまでは分からないが、ルールならネットで知っている。ネット情報だけで初めてここに来ただけに中々に興奮してしまっていた。
 私は財布から千円札を二枚取り出し、爺の目の前に差し出した。その時案の定。高杉が後ろから文句を言いはじめる。
「無料じゃないのか!」
「条件付きで無料だ」
「何だよ条件って」
「ただ出てきた料理を全て食べつくせばいいだけだ。そうすれば無料になるだけでなく、逆に二千円もらえる。合計四千円が帰ってくるんだ」
 私は以前からここに来たかった。ネットで都市伝説を漁っていた時、特に目を引いたのがこの映画館の噂であった。
 受付で「ペンギン」を頼むと、ある特別な料理を食べる事が出来る。さらに食べきる事が出来たら賞金二千円と、「賞品」が貰えるらしい。
 その辺の定食屋とかラーメン屋でもやっていそうな話が、わざわざ都市伝説として載っていたのだ。これは何かあると私の勘がささやく。
 賞品の内容と料理が何なのか、ネットにのっていないあたり胡散臭い噂ではあったが、地元であった事と、高杉に二千円を貸していた事が重なり、探しに行く決意をした。ご丁寧に地図まであったのだが、食べ切れた者はいたのだろうか? いたのだから噂が立ったのだろうが。
 高杉よ。今日はお前のその太った体を利用させてもらおう。私は自分を仏だと思わないが、無料で飯が食える場所を紹介し、さらに二千円を私に返す機会まで与えるとは、善人ではないか。それと賞品の件に関しては高杉に伝えず私が貰う。
 無料の次は二千円の賞金という、聞こえの良いおいしい餌につられ、高杉は財布から最後の千円札を二枚、爺に差し出した。
「ありがとうございやす。ではこちらへ……」
 爺は受付から出ると、シアター3の扉の前で「この中でございやす」と、頭を下げた。緊張しながらも高杉と共に扉の前まで移動し、一緒に扉を開けた。
 

 汚い路地をいくつも抜け、古臭い時代に取り残され、タイムスリップしたような錯覚に陥る映画館。中には人間なのか怪しい爺。どれもこれも非現実的な雰囲気があった。だがその中の中はさらに異質で非現実的だった。
 洋風の両開きドアを高杉と二人で開いた先には非現実そのものが広がっている。煌々と輝く太陽の下、反射して輝く砂浜にビーチパラソル。水平線が遠くに見える海と潮風の香り。私と高杉以外の人間の気配はなく、波が打ち寄せる音だけが耳に心地よい。日本人が思い浮かべる理想のビーチがここにはあった。
 そんな馬鹿な。ありえない。そんな言葉が脳味噌を走り回るが、現実に目の前にあるのだ。ここは室内なのか、それともどこでもドアのように不思議なドアをくぐってしまったのか。隣の高杉も口を開けたまま固まっている。
 夢を見ているのだろうか。後ろを振り返っても、くぐってきたドアはなかった。どこなのか分からないビーチに二人きりで置き去り。訳の分からない状況を、一つずつ嫌でも理解していく。
 まさか映画館の裏にビーチがあったわけではあるまい。何故ならこの街に海はないからだ。だとすると巨大モニターに海や空や太陽を映しているのかとも考えた。しかし、いくら見てもそれがモニターに写る偽物だとは思えない。
「高杉、お前は私の夢の中か?」
 仮に夢だとしたら高杉の返答に意味はない。しかし聞かずにはいられなかった。話しかけられるのは高杉しかこの場にはいないのだから。
「どっちの夢か分からない……」
 高杉も混乱しているようで、まともな返事は帰ってこない。とにかくここで黙って立っていては太陽に焼き殺されてしまう。近くに見えるビーチパラソルの下へ移動する事にした。
 高杉を連れパラソルの下へ行くと、小さな小瓶の口が砂から飛び出している。手で砂を掻き分け取り出すと、中に小さな紙が丸められて入っていた。太陽にすかすと、薄く文字が見て取れる。裏側に何かが書かれているようだ。
 小瓶を逆さにし、上下にふって紙を取り出し開くと、そこには「魚三匹、貝十個、ペンギン一匹」と書かれていた。頭の中に疑問符を浮かべ、眉を顰めているとウクレレの独特な音が聞こえてきた。その音色のする方を見ると先程の爺が、アロハシャツを着てウクレレを弾きながら歩いてきていた。
「ここはどこだ!」
 自分でも驚くほど大きな声が出たが、この開放的空間のせいもあるのだろう。普通の人間ならばある程度のリアクションをとるような声量だったが、爺は何事もなかったかのように口を開く。
「ルールを説明しやしょうか……」
「ルールとは何だ」
「ルールやルールでしょうや。そこの紙に書かれた物を食いきったら料金は無料の上、賞金として二千円さらに……」
 ここに来て飯だと! ふざけるな! 私達は帰らせてもらおう。棄権しようと口を開こうとした瞬間高杉が私を止めた。
「どうした高杉」
「棄権しようとしたでしょ、絶対駄目!」
「何故だ! こんな訳の分からない場所、さっさと帰りたいとは思わないか!」
 高杉は拳を握りしめ、うなだれた。
「二千円……もう払ったんだ。このまま帰ったら俺は今月生きていけない」
 何という馬鹿か。二千円位でこの非現実を受け入れるというのだ。馬鹿はここぞという時に扱いに困る。
「それにたかだか魚三匹と貝十匹程度だろ。二人でなら簡単じゃないか」
 確かにそれは高杉の言うとおりだ。しかし一つ分からない事がある。
「ペンギンとは何だ」
 爺に向けてさっきから疑問だった単語について問いかけた。爺は気味の悪い笑顔と笑い声をあげながら馬鹿にしたように答える。
「兄ちゃん、ペンギンはペンギンでしょうや。それ以外に何がありやすか」
「こんなビーチにいるはずがない」
「今更常識に囚われたままですかい? 既に非常識の中ですぜ」
 言ってくれるじゃないかこの爺。いいだろう、都市伝説を超えて見せよう。このまま帰るのも後々思い出して腹が立つだろうから。
「高杉、食うぞ」
「金がかかってるんだ。食べるよ!」
 さあ、どんな魚だろうが貝だろうがペンギンだろうがかかってこい。しかし目の前にはむかつく爺と金欠馬鹿とビーチだけ。
「飯はどこだ」
 爺は口が裂けるのではないかという程また笑い始めた。
「ここにないなら自分で捕ればええでしょうが。道具はそこにありやす」
 爺が指を指した方向を見ると、先程まで何もなかった場所に小さな木造の小屋が現れた。
「中にあるもんは好きに使ってええので頑張って下さいね」
 そう吐き捨てる爺にまた腹が立ち、文句を言ってやろうと爺がいた場所に向きなおすと、既に爺はいなくなっていた。今までそこには誰もいなかったかのように。
 残された高杉と私は仕方なく小屋へ向かった。ドアノブのないドアを押し開くと、中には外観相応の広さで人が四人転がれる程度。壁には鎌や鍬(くわ)、スコップ等、農業道具がかかっていて、とても海で使う道具ではない。部屋の右隅に汚い網目が無駄に多きい網が無造作に置かれており、やる気をいっそう削いでくる。せめてシュノーケルやモリはないものか。
 貝は適当に拾うとして、魚は網しかないのでは追い込み漁しかあるまい。ペンギンについては後で考えよう。
 とりあえずとして網と、足元に転がっていたバケツを持って外へ出た。高杉は何故かスコップを持って小屋から出てくる。
 まずは簡単そうな貝から捕える事にしよう。逃げる事もしないし、拾うだけでいい。幸い海の透明度は高いようだ。
 上着とズボンを脱ぎ捨てパンツだけになり手ぶらで海の中へ。高杉も私にならい裸になってついてきた。余談だが、シャツを抜いた高杉は、恵比須様を彷彿とさせた。


「貝なら簡単だな」
 私の一言を聞いた高杉からも「食べられる貝ならいいけど」と余裕がみてとれる。しかし、私のこの一言が余計だった。失念していたのだ。ここは非常識の中だと。
「舐めんな!」
 突然聞こえた甲高い声。高杉の声でもなければ私の声でもない。誰の声かとあたりを見回していると、海の中から弾丸のようなものが私の腹部に飛んできた。小さい個体なだけにその威力は一点に集中し、経験したことのない痛みが内臓まで針のように響く。言葉にならない声を発しながら溺れないよう必死に悶える。驚いた高杉が海からあがるとまた声が響く。
「こっちにこい卑怯者!」
 その声の主を私は見た。少し小粒な蛤(はまぐり)だ。声をはっするたびに殻をぱくぱくと動かし、跳ね回っている。蛤が話して動いているのだ。非常識、非現実、忘れてはならなかった。そんな簡単なはずもなかった。
 歯を食いしばり、蛤に手を伸ばすが外見とは裏腹にすばしっこく、逃げ回って捕まえられない。それどころか弾丸のように私にぶつかってきて、たまったものではない。耐えきれなくなった私は、息を切らしながら砂浜へとあがった。
「大丈夫か!」
 心配したように高杉が駆け寄ってくる。自分の体を見ると、あちらこちらに青痣が出来ていた。生身では無理のようだ。
「高杉、網をもてい!」
 小屋から持ち出した網を二人で広げ海と砂浜の境界線まで走る。
「せーっの!」
 掛け声に合わせ投網。網は綺麗に広がったまま飛沫を上げ海へ。その下には弾丸蛤が。しかし網目を押し広げ蛤はいともたやすく抜け出す。
 スコップは役に立たない、鎌や鍬も使えない。早速つまづいてしまった。これを十匹と考えるだけで背筋が冷たくなる。何かないものかと砂浜を見渡すと、またどこからともなくキッチンが出てきていた。
 砂浜の上に洋風のダイニングキッチンとはなんとカオスな光景か。その横には炭と網も常備。お好きに調理してくださいといわんばかりだ。キッチンの棚を開けると包丁やフライパン、鍋など色々な調理器具、そして塩や醤油などの調味料も完備されていた。しかし蛤を捕まえないことには使う事もあるまい。悩む私の後ろで高杉がプラスチック製のボウルを二つ取り出し、指ではじいていた。
「プラスチックで耐えられるかな」
「何の話だ」
「捕獲作戦」
 高杉の作戦は飛んできた蛤をボウルでキャッチし、もう片方のボウルで蓋をして閉じ込めたまま網の上で焼いてしまおうという、突き抜けた考えだった。普段なら馬鹿と言って一蹴していただろうが、他に作戦がないのでは反論しようもない。やってみようではないか。
 早速炭に火をつけ網を載せる。うちわがないのでフライパンで仰ぎ風を送り炭の火力をどんどん上げていく。炭の表面が赤く光りだし、網に火が通りはじめた。私と高杉はボウルを持ち再度蛤の待つ海へ。
 この作戦は蛤の方から飛び込んで来てもらわねば困る。だがこれは簡単だ。ハマグリを乏しめればいいのだ。簡単という一言にあれほど怒っていた蛤なら沸点は低いだろう。
 波が足にあたるほどの距離に立つ。するとまた海の中から蛤の声が響いてきた。
「また来たのか弱虫共め」
 相変わらず小さい体で大きい事をほざく蛤だ。息を大きく吸い、海のそこまで響くように、蛤まで聞こえるように叫ぶ。
「小粒で味の薄い貝なんぞに興味はない! 海と言えばサザエだ!」
 一瞬静まり返る海。私は自分の額を指で二回たたいた。一呼吸おいたその瞬間。海からもの凄いスピードで蛤が飛び出してきた。私の頭部めがけてまっすぐ飛んでくる。しかし既に私はボウルを顔の前に構えていた。最近のネットユーザーの方が煽りに対して耐性をもっているというのに。
 殻とボウルがぶつかる音がした瞬間、高杉がもう一つのボウルで蓋をする。蛤は中で暴れ回るが、狭いボウルの中、加速する距離があるはずもなく先程までの強さはない。そのまま二人でボウルを抑えたまま網の上へ。一瞬だけボウルを離すと蛤はそのまま網の上に落ちた。それを見た高杉はすかさず上からボウルを被せる。
「ああああぁぁぁ」
 汚い悲鳴がボウルと網の間から漏れ出し、耳に優しくない。しかし焼いて食わねばならないのだ。すまない。
 ボウルに熱が伝わったのか、高杉は「あつっ」と、ボウルから手を離してしまったが、もう蛤が動く事はなかった。
 その内、殻がくつくつと動きだし、ついには殻が完全に開いた。中の身は口から出る汚い言葉とは違い、とても綺麗で食欲をそそる匂いが漂ってくる。身から汁があふれ出し殻の中で煮えはじめ、食べごろだと主張してきた。高杉は蛤のそんな様子に目を離せないでいるようだ。
 私も食べたいが、非常識なこの場所。食べられない可能性もある。ここは高杉に譲ろうか。
「お前の作戦で捕った蛤だ。先に食べてくれ」
 こう言えば高杉も断らないだろう。案の定、高杉は嬉しそうな顔で「先にいただきます」と殻に口をつけ、すするように食べた。
「うまい!」
「体に異常は? 腹が痛いとか」
「ないない」
 毒見の結果、たぶん食べられる事が発覚した。
 それから残り九匹も同じ作戦で捕る事が出来た。蛤共はその小さな体にみあった、小さな小さな脳味噌しかもっていなかったらしい。これで貝十個は辛くも達成できた。塩をかけたり醤油をかけたり様々な味付けで頂く。

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