桜色の人鳥

適当理論と小説置き場。たまに日記。小説を読むときはカテゴリ「目次」から。

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愛とはなんぞや

愛とは何か!
愛


「愛してるよ」なんて言ってみたところでその本質を理解した上で発言出来ている者はこの世に何人いるのか?
少なくとも私は理解できていない。
これまでの人生において私は二人の恋人をもった事がある。
一人目は相手に告白され何となくOKしてしまった。
初めての経験だったものでおもわず勢いでというのもある。
もちろん初めての恋人であり、どう接すれば良いのか分からなかった。それに相手は私の事をどれほど知っているか把握できていないし、私は私で相手の事はほとんど知らなかった。
私の何処を好きだったのか?今となってはもう分からぬ。
では私は相手の事を愛していたのか好きだったのかと言われればNOだ。
その頃の私は若かったという事もあり脳味噌も使わず適当にぶらぶら生きていたため相手の事を理解しようともしなかったし話しかけられなければ自分から近寄る事もしなかった。
だからこの時の恋人について語れと言われてもこの程度の感想しかない。
その内相手も冷めてしまったのかこの関係は自然消滅。気が付いた時私は一人になっていた。
悲しくもないし辛くもない。ただ思った事が一つ。
「私はこの先誰かを愛する事があるのだろうか?もしかしたら誰も愛する事などないのではないだろうか」

そしてここから数年後、また恋人ができた。二人目である。
もちろんこれも私から告白した訳ではない。かといって相手から告白された訳でもない。
友人の紹介、そして成り行き、気付けば恋人。もちろん相手も私を恋人だと認識していてくれた。
盛り上がりにかけるきっかけではあったができたものは仕方がない。
前の経験を生かし適当に話を合わせ適当にプレゼントをし適当につきあった。

だが、私はこの恋人について特に好きだとか愛しているという感情はなかった。
いるものは仕方がない、どうせ長くは続かないだろう、それならば適当に楽しませて思い出の一ページにでもしてやろう。
その程度のサービス精神。
そして私の予想通り関係はすぐになくなった。
しかしこの時も悲しくはなかった。むしろ何処か気持ちが軽くなっていたような気がする。

二人の恋人をもった経験で私は悟った。
「あれ?愛せない。というより愛とは何だ?」

それから私は恋人を欲しいと思った事もないし結婚願望なんてもたない。というより過去を振り返ると好きはあれど愛が見当たらない。
好きという感情は恋愛にとどまらず同性であろうと友人として人として好きという事もある。私は主にそちらの意味で好きになる事はある。だが恋愛として誰かを見た事がない。
愛と好きは違うのだ。
では愛とは何か?
「この子を守りたい」そう思ったらそれは愛だ!
とか
「死ぬ瞬間まで一緒にいたい」そう思ったらそれは愛だ!
とか
「胸がドキドキして呼吸が乱れる」そうなったら愛だ!
とか
もはや愛が統一されていない。
守りたいはという感情はそのまま守りたいという感情であって愛ではないだろう。
一緒にいたいだってそのままの感情だろう?
胸がドキドキ?病気か発情してんじゃない?
愛というものそのものの本質は何処にあるのだ?

何が愛で愛の意味は何処で愛は愛でもうわけがわからない!
愛の意味を調べると「男女が想いあう」だのなんだのと出てくるが何を想いあえば愛なのだ!
かま爺が「愛じゃよ愛」とか言ってたけど説明してほしい。

は!そうか!愛が見当たらないのならば私が愛を創ってしまえばいい!愛してみようと行動に出よう!
だが結局なにをすればいいのか分からない!
この案は没だ!

いくら考えても脳味噌が愛愛愛愛愛愛愛に遮られて奥が見えない。

孤独

そんな事を考えていると知人が救急車で運ばれたと電話がきた。
正直その知人は私にとってどうでも良い人物でありそんなに接点があるわけではない。
電話によると生死にかかわる程大きいものではないらしいし、私はそれどころではない。
私の心はまったく揺らがなかった。
だが、電話をきるとテレビのニュースで黒い話題ばかりやっている。時間は深夜。
一人ベッドの上。秋の寒さ。
このコンボによって私は急にセンチな気分になりました。

寂しい夜があるとよく言うが正にこの事だろう。
すると何故か愛が欲しいなと思ってしまったのです。

私は友人の誕生日にケーキを手作りし、さらにプレゼントを別に買い準備します。
そして日付が変わったと同時にメールやラインで祝福し、都合の良い時に準備していた物を渡しています。
これは友人のためというより自分のためでもあります。何故なら全て自己満足だから。
でもふと自分の誕生日について考えました。誰かから祝福してもらった事などあっただろうか?
この歳になって誕生日を祝え!と口には出しませんがふと気になってしまったのです。これも愛が欲しいなと思ってしまう程にセンチな気分だったからでしょう。
私は自分の携帯を開き自分の誕生日である5月30日のやりとりを確認しました。
結果
私の誕生日を覚えていて祝福の言葉をくれたのは二人でした。

もちろん嬉しかったですよ。ただ、気付いてはいけない事に気付いたような気がしてものすごく寂しくなりました。
私は我儘です。

ブラックホールのような負の感情の中に一気に巻き込まれて落ちていった私は洋画の悪役のように心が荒み、
「こんな世の中なら私一人腐っても当たり前だ!」
などと叫んでおりました。実際は心で叫び小声でつぶやいた程度。

そして今日、負の感情から飛び出し元気を取り戻した私は思ったのです。
愛についてはしばらく理解できなくてもいいかもしれぬ!
だからこそ面白い!楽しい!
何故なら分からないからこそ想像できるのだ!妄想できるのだ!
恋愛小説を書けるのだ!
愛?そんなもんねえよ!ていうか分かんねえよ!でも愛最高!

愛は深い!
結論を出そうとしてもすぐに自分で論破できてしまう。だからさらに別の結論を探す。しかしまた違うのだと気付く!
永遠ループ!

それを悟った時にようやくすっきりしました!
愛はありのまま愛でいい!追究する必要はなし!

これが私の結論である!
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